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November 02, 2014

「静夜」 第9回

 何日かして、誠治は落ち着いてきた真弓を連れて担当医と会った。
「よかったですね。自然に声が出ましたか?それとも何かきっかけがあったのでしょうか?」
実は、と誠治がバイク事故の話をすると、仮定ですが、と前置きして、事故を見た瞬間、声を抑圧していた要因をはねのけるほどの強い心の力が働いたのではないか、と説明する。

 医師の言葉を聞いて誠治なりに考えてみた。
隼人が倒れているのを見て、真弓は両親の事故を思い出したに違いない。しかし、隼人を助けなければという強い思いが、ショックで自ら閉じこめていた心の壁を打ち破ったのだろう。

 10月に入った最初の日曜日の夕方、隼人がやってきた。赤い軽自動車に乗っている。
「かわいい車だな」と誠治が冷やかすと「いや、当分バイクは禁止でして、これは母の車です」と照れながら言った。少し足を引きずっているが、松葉杖なしで歩いている。
家の中に入ると「その節は本当にお世話になりました」と改めて丁寧に頭を下げた。
リビングに行くと、いくぶん恥ずかしそうな真弓が笑顔で待っていた。

 隼人は、真弓の前で、握った両手の人差し指を立てて身体の前で合わし、広げた手を胸の前で交互に動かした。『会えて、うれしい』という手話だ。
真弓は、彼が手話を使うのを見て驚いたが、すぐに『私も、うれしい』と手話で返す。
彼は手話を続けた。『僕が悪い』
彼女はそれには答えず手話を返した。『覚えたの?』
彼は小さくうなずいた。
「いつから?」真弓がつい声を出してしまった。
「えっ、しゃべれるの?」隼人は驚いて大きな声を出した。

 誠治が、彼のバイク事故の時から声が出るようになった、と説明した。
彼は、真弓と絶交状態になってから手話の勉強を始めたという。
「でもよかった、真弓さんの声が聞けて本当にうれしい」喜んだ隼人はよくしゃべったが、誠治がリビングから出ていくと、真弓は隼人に近づき、彼の唇を右手のひとさし指で軽く押さえた。おしゃべりはいらない。彼がそばにいてくれるだけで幸せだ。

 しばらく黙ってお互いの顔を見つめたまま座っていたが、やがて隼人が身振りで外に出ようという。秋の夕暮れは早い。庭に出るとあたりは暗くなっていた。
南の空に上弦の月が掛かっている。
二人は黙ったまま並んで月を見上げていた。虫の音がかすかに聞こえる。

しばらくして隼人は真弓の方に向き直った。
右手の親指と人差し指でのどにあて、指を合わせながらゆっくり前へ出す。
『きみが、好きだ』

彼の手の動きを見つめていた彼女の瞳が、月明かりのなかでかすかに光った。
真弓は、前に出ると彼の首に手を回し、つま先をあげてそっとキスをした。
隼人も、彼女をしっかり抱きしめた。

上弦の月がいくらか西へ傾いただろうか。
二人は黙って抱きあっていた。

静かな夜が更けていく。


「静夜」 終わり

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Comments

narkejpさん
ときどき創造する脳力を使うのもいいものです。

Posted by: よし | November 04, 2014 at 02:00 PM

良かったですね。楽しませてもらいました。ステキな物語をどんなふうにして作っているのか、理屈っぽい石頭人間には、不思議でなりません(^o^)/
今後もまた、楽しみにしております。

Posted by: narkejp | November 03, 2014 at 07:28 PM

HABABIさん
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
若い男女の純粋な愛っていいなと思うので絶対にハッピーエンドですね。

Posted by: よし | November 03, 2014 at 09:50 AM

よし様

毎日、次のお話を楽しみにして過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
やっぱり、ハッピーエンドっていいですね。

Posted by: HABABI | November 02, 2014 at 09:03 PM

u子さん
最後のシーンを最初に考え、タイトルを付け、ストーリーを構成したものです。
ブログ小説にしては長すぎるのですが、毎日読んでいただいてありがとうございます。

Posted by: よし | November 02, 2014 at 09:41 AM

事故や声を出せなくなった厳しい現実がありながら、ロマンチックで優しい心映えが盛り込まれた小説でした。

毎日、明日はどうなるの?と楽しみに読ませて頂きました。ありがとうございました。

Posted by: u子 | November 02, 2014 at 09:06 AM

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